ゴムシンの形に残る百年の変化
低いかかと、開いた甲、少し上を向いたつま先。ゴムシンの輪郭には、昔の履物の形と、工場で靴が作られ始めた時代が重なっている。雨の日にも履けた生活用品はかつて憧れの一足で、今はデザイナーが色を加える出発点になっている。
伝統的な履物を手本にした形
ゴムシンの形は、ゴムという素材だけでは説明できない。『韓国民族文化大百科事典』によると、男性用は革靴のカッシン、女性用は伝統的な浅い靴タンヘの一種を手本にした。国立民俗博物館の服飾解説も、女性の履物ウンヘとゴムシンの類似を指摘している。
つま先が少し上がる曲線は朝鮮時代の靴にも見られ、工場製のゴムシンにも受け継がれた。幅広で先の丸いものから、細身でつま先が際立つものまで、形はさまざまだった。

1920年代の新しい工業製品
ゴムシンは日本統治期の1910年代末から1920年代にかけて広く普及した。日本からの輸入品が市場を開き、需要の拡大とともに朝鮮半島でも生産が増えた。1922年にソウルの鍾路で設立された朝鮮ゴム工業所はその一例だ。
生産の中心は京城(現在のソウル)、平壌、釜山だった。京城と平壌では朝鮮人経営者の比重が、釜山では日本人経営者の比重が大きかった。ゴムシンの歴史は、農村の記憶であると同時に、都市の工場や技術者、商標を掲げて競った店の歴史でもある。
日常の履物として
稲わらを編んだチプシンはすり減りやすく、水を吸った。ゴムシンは水がしみ込みにくく長持ちし、普段履きとして定着した。
男性も女性も日常の外出でゴムシンを履いた。韓国学中央研究院の海印寺の資料写真には、僧房の前に脱いだ白と黒のゴムシンが並んでいる。
白いゴムシンの喜び
国史編纂委員会の「ウリ歴史ネット」が紹介するチョン・ビソクの1937年の小説『城隍堂』では、スニが新しい白いゴムシンを何度も履いては喜ぶ。今は素朴に見える靴が、当時は貴重な品だったことを示す場面だ。
ゴムシンには、丈夫さとおしゃれを楽しむ気持ちの両方が込められていた。革靴や絹の靴に通じる輪郭が工場製品となり、人々の暮らしに広がった。
さまざまな形と色
韓国学中央研究院の資料写真には、幅広で丸い黒い靴、細身の白い靴、赤い配色を加えた靴が写っている。現代のカラーデザインも、もともと形や色に違いがあった履物の延長にある。
1960年ごろからスニーカーが普及し、革靴が日常に定着すると、ゴムシンの需要は減った。かつての新しい品は、身近な生活用品を経て、昔を思い出させるものになった。

2019年の「New Color Gomusin」
Blank Projectは2019年、ウソン化学とPVC素材の「New Color Gomusin」を発表した。当時は三色で、ジーンズやスカートに合わせる着こなしを提案した。2026年10月に確認した公式商品ページには七つのカラーが掲載されている。
低い輪郭はそのままに、色と組み合わせる服で印象を変える。昔の履物の形を新しい素材に移したゴムシンは、今度はその形自体が現代のデザインの出発点になっている。
出典・基準情報
2026-10-09T11:21:15.541Z
韓国民族文化大百科事典 ↗韓国学中央研究院 ↗韓国民族文化大百科事典 ↗韓国民族文化大百科事典 ↗韓国民族文化大百科事典 ↗韓国民族文化大百科事典 ↗New Color Gomusin 2019 ↗blankproject.kr ↗韓服に白いゴムシンを合わせたAI演出画像。特定ブランドの実物写真ではない。
多色のゴムシンのAIデザイン案。実際の販売色や特定商品を示すものではない。
海印寺の僧房の前に脱いだゴムシン。場所は韓国学中央研究院の資料説明による。撮影年不明。
最初の2枚はAI制作の着用・色彩イメージで、歴史資料や実際の販売商品の写真ではありません。

