よい夜は消費だけで決まるのか、ソウルの日常を見直す
ソウル文化財団『文化+ソウル』10月号のコラムは、都市の夜の価値を売上や来訪者数だけで測る見方に疑問を投げかけ、穏やかな夜のあり方を問い直している。
ソウル文化財団『文化+ソウル』10月号のコラムは、都市の夜の価値を売上や来訪者数だけで測る見方に疑問を投げかけ、穏やかな夜のあり方を問い直している。
NowHitz編集部 · undefined
遅くまで開く店や飲食店は、都市の夜に活気を与える。しかし、夜の価値を買い物の量やイベントの数、帰宅の遅さだけで決める必要はない。
ソウル研究院のウ・ヨンジン研究委員は、ソウル文化財団の2026年10月のコラムで、夜を商業活動の延長としてのみ捉える視点を問い直している。読書や家族との休息、近所を歩く時間も都市の夜の生活の一部だという。
この視点に立てば、店の数と同じく、安全な歩道や落ち着いた照明、腰を下ろせる場所も重要になる。これはコラムに基づくナウヒット編集部の解釈であり、特定の政策効果を測定した結論ではない。
パンダジ(반닫이)は、畳んだ衣服や大切な文書をしまい、上には布団を重ねた朝鮮時代の木製収納家具だ。家の事情や用途に応じて衣装入れや貴重品入れとして使われ、地域ごとに姿が異なっていた。
衣服のほか、書物や巻いた文書、祖先の祭祀に使う器も保管された。ただし、すべてのパンダジに同じ品が入っていたわけではなく、置かれた部屋や使う人によって役割は違った。
大きな収納家具をそろえる余裕のない家ではその代わりとなり、婚礼家具としても重んじられた。上面に布団を置けば、家具の上も収納に使えた。
地域によって木材、金具、本体の比率、組み方が異なる。江華(カンファ)、平壌(ピョンヤン)、博川(パクチョン)、密陽(ミリャン)、済州(チェジュ)は地域に由来する呼び名で、「スンスンイ・パンダジ」は金具に穴をあけた透かし装飾にちなむ。呼び名は重なるため、同じ家具が両方の名で呼ばれることもある。
江華のパンダジは衣服や布地、祭礼の器を収め、内部に棚や引き出しを備えた例がある。金具にはひょうたん、コウモリ、太極などの形が見られる。平壌のものは大きく背の高い本体と多くの金具が特徴で、衣服をしまい上に厚い布団を置いた。内部上部に小さな引き出しを三つ備えた例もある。博川は鉄板の細かな透かし模様が目を引き、同じ北部でも平壌とは姿が異なる。
密陽のパンダジは比較的低く横長だ。木目を生かす傾向のある慶尚道の中でも鉄の金具を比較的多く使い、菊形の釘頭や三日月形の取っ手も見られる。衣服をしまって主室に置き、上に布団を載せたと記録されている。済州では書物や筆記用具、金属製の器や祭礼の器を保管した。金具には本土南西岸の長興・海南の様式との類似も指摘されている。

金具は装飾であると同時に部品でもあった。蝶番は前面上部の扉を開閉させ、角の金具は木の継ぎ目を補強し、錠前まわりの金具は木部の摩耗を抑えた。花や幾何学模様が家具ごとの表情を生んでいる。
写真は異なる所蔵品四点だ。ソウル歴史博物館の江華パンダジ(서울역사021990)、国立中央博物館の済州櫃(건희4556)、全羅道のパンダジ(건희4539)、平安道のスンスンイ・パンダジ(건희4630)。済州櫃は博物館の所蔵品名に従った。
家具の構造・金具・文様は変えず、写真の背景だけを淡いアイボリー色に統一した。個々の違いを地域全体の特徴として一般化することはできない。


2026-10-09T22:20:00+09:00
国立中央博物館 ↗公共ヌリ(KOGL) ↗国立中央博物館 ↗韓国民族文化大百科事典 ↗ソウル歴史博物館 ↗ソウル歴史博物館 ↗国立中央博物館 ↗国立中央博物館 ↗国立中央博物館 ↗江華パンダジ(서울역사021990)。所蔵品の写真の背景のみをアイボリー色に統一。出典:서울역사박물관。
済州櫃(건희4556)。所蔵品の写真の背景のみをアイボリー色に統一。出典:국립중앙박물관。
全羅道パンダジ(건희4539)。所蔵品の写真の背景のみをアイボリー色に統一。出典:국립중앙박물관。
平安道スンスンイ・パンダジ(건희4630)。所蔵品の写真の背景のみをアイボリー色に統一。出典:국립중앙박물관。
韓国では食事を終えると「잘 먹었습니다」(よく食べました)と言う。食事の前の「잘 먹겠습니다」と対になる短いあいさつで、食事を用意した人への感謝を伝える。
NowHitz編集部 · 2026-10-15
「잘 먹겠습니다」は食事の前に、「잘 먹었습니다」は食事の後に感謝を伝える表現だ。韓国語教育のTalk To Me In Koreanも同様に使い分けを説明している。直訳すると、前者は「これからよく食べます」、後者は「よく食べました」にあたる。
二つのあいさつが一食の始まりと終わりを区切る。食後のあいさつは、食べ物からその場を用意した人へと目を向けさせる。
料理が食卓に届くまでの過程をすべて知るのは難しい。誰が材料を整え、何から火にかけ、いつ火を弱めたのかを知らなくてもよい。短いあいさつは工程を説明せず、一食がひとりでに現れたわけではないという事実だけを示す。
代金を払ったからといって、手間に気づくことが不要になるわけではない。支払いで済む場もあれば、ひと言添えたくなる場もある。その言葉は義務よりも気持ちから出るとき自然だ。
感謝を伝えるために、すべての料理を褒める必要はない。味に点数を付ける言葉と、一食を用意し分かち合った時間を認める言葉は働きが違う。感じた分だけ伝えればよい。
あいさつで皿洗いが済むわけではない。食卓を片づけたり次の食事を引き受けたりするとき、言葉は具体的な気遣いになる。最後のひと口の後、互いの手間に気づく瞬間が一食を締めくくる。

朝鮮王朝後期に流行した冊巨里(チェッコリ)には、本とともに花瓶や器、果物が描かれる。当時の人々が大切にした品と、望んだ暮らしを映した静物画だ。
冊巨里は、本を中心に陶磁器や文房具、花、果物などを描いた絵画で、朝鮮王朝後期に流行した。仁川広域市立博物館は、その背景に清の飾り棚を描いた絵を挙げる。本を重んじた正祖は、宮廷画家の試験に冊巨里を出題した。
上流層の冊巨里には、中国から輸入した器物も描かれた。学問への関心と、珍しい品を集める趣味が同じ画面に表れている。民間に広がるにつれ、出世や富、平穏な暮らしへの願いも込められるようになった。
国立中央博物館の洪山465は八幅の冊巨里屏風だ。本や花瓶、器が各幅に分かれて描かれ、屏風全体と一幅の細部では異なる構成が見える。
新收11431は別の作品で、積み上げた本や花の咲く木などが一つの画面に集まる。最後の写真は、博物館が別途提供する洪山465の一幅の細部。洪山465の制作年代は所蔵品情報に明記されていない。
冊巨里屏風(洪山465)の実物写真。国立中央博物館蔵。元の縦横比を保持。
低いかかと、開いた甲、少し上を向いたつま先。ゴムシンの輪郭には、昔の履物の形と、工場で靴が作られ始めた時代が重なっている。雨の日にも履けた生活用品はかつて憧れの一足で、今はデザイナーが色を加える出発点になっている。
ゴムシンの形は、ゴムという素材だけでは説明できない。『韓国民族文化大百科事典』によると、男性用は革靴のカッシン、女性用は伝統的な浅い靴タンヘの一種を手本にした。国立民俗博物館の服飾解説も、女性の履物ウンヘとゴムシンの類似を指摘している。
つま先が少し上がる曲線は朝鮮時代の靴にも見られ、工場製のゴムシンにも受け継がれた。幅広で先の丸いものから、細身でつま先が際立つものまで、形はさまざまだった。

ゴムシンは日本統治期の1910年代末から1920年代にかけて広く普及した。日本からの輸入品が市場を開き、需要の拡大とともに朝鮮半島でも生産が増えた。1922年にソウルの鍾路で設立された朝鮮ゴム工業所はその一例だ。
生産の中心は京城(現在のソウル)、平壌、釜山だった。京城と平壌では朝鮮人経営者の比重が、釜山では日本人経営者の比重が大きかった。ゴムシンの歴史は、農村の記憶であると同時に、都市の工場や技術者、商標を掲げて競った店の歴史でもある。
稲わらを編んだチプシンはすり減りやすく、水を吸った。ゴムシンは水がしみ込みにくく長持ちし、普段履きとして定着した。
男性も女性も日常の外出でゴムシンを履いた。韓国学中央研究院の海印寺の資料写真には、僧房の前に脱いだ白と黒のゴムシンが並んでいる。
国史編纂委員会の「ウリ歴史ネット」が紹介するチョン・ビソクの1937年の小説『城隍堂』では、スニが新しい白いゴムシンを何度も履いては喜ぶ。今は素朴に見える靴が、当時は貴重な品だったことを示す場面だ。
ゴムシンには、丈夫さとおしゃれを楽しむ気持ちの両方が込められていた。革靴や絹の靴に通じる輪郭が工場製品となり、人々の暮らしに広がった。
韓国学中央研究院の資料写真には、幅広で丸い黒い靴、細身の白い靴、赤い配色を加えた靴が写っている。現代のカラーデザインも、もともと形や色に違いがあった履物の延長にある。
1960年ごろからスニーカーが普及し、革靴が日常に定着すると、ゴムシンの需要は減った。かつての新しい品は、身近な生活用品を経て、昔を思い出させるものになった。

Blank Projectは2019年、ウソン化学とPVC素材の「New Color Gomusin」を発表した。当時は三色で、ジーンズやスカートに合わせる着こなしを提案した。2026年10月に確認した公式商品ページには七つのカラーが掲載されている。
低い輪郭はそのままに、色と組み合わせる服で印象を変える。昔の履物の形を新しい素材に移したゴムシンは、今度はその形自体が現代のデザインの出発点になっている。
2026-10-09T11:21:15.541Z
韓国民族文化大百科事典 ↗韓国学中央研究院 ↗韓国民族文化大百科事典 ↗韓国民族文化大百科事典 ↗韓国民族文化大百科事典 ↗韓国民族文化大百科事典 ↗New Color Gomusin 2019 ↗blankproject.kr ↗韓服に白いゴムシンを合わせたAI演出画像。特定ブランドの実物写真ではない。
多色のゴムシンのAIデザイン案。実際の販売色や特定商品を示すものではない。
海印寺の僧房の前に脱いだゴムシン。場所は韓国学中央研究院の資料説明による。撮影年不明。
最初の2枚はAI制作の着用・色彩イメージで、歴史資料や実際の販売商品の写真ではありません。
干しスケトウダラは食材であると同時に、家を建てる儀礼にも使われた。現代の魚形の厄除け飾りには、家の平穏を願う思いが込められている。
韓国で干しスケトウダラはプゴと呼ばれる。『韓国民族文化大百科事典』の上梁告祀の記録には、屋根の棟木を上げる際、プゴを糸の束やお金などと一緒につるす風習が紹介されている。上梁告祀は工事の大きな節目を祝い、その後の幸せを願う儀礼だった。

「エンマギ」は災いを避けるという意味だ。スケトウダラをかたどった小物は、その願いを小さな飾りで表す。2025年に亀尾保健所が紹介した工作教室では、布製の魚にひもと鈴を合わせたドアベルを作った。
掲載画像は教室の記録写真ではない。糸を結んだ干し魚と木製の魚飾りを表現したAI再現画像だ。
家づくりの儀礼の干し魚と、現代のドアベルは別のものだ。ただ、素材や場面は違っても、どちらにも暮らしの無事を願う気持ちが表れている。玄関につるす小さな魚は、その家で日々を穏やかに過ごしてほしいという願いの表現だ。
韓屋の戸口の上に干し魚と絹糸を掛けたAI再現画像。実際の儀礼写真ではない。
木製の魚と白い絹糸、鈴を合わせたAI制作の装飾案。実際の商品写真ではない。
AIによる再現画像であり、実際の儀礼や販売商品の撮影写真ではありません。

飾り結びと房で彩られたノリゲには、縫い針を収める針入れノリゲがあった。裁縫道具を身につけて持ち歩く習慣が、装身具に残っている。
ノリゲは、韓服の上着チョゴリの結びひもやスカートの腰につける装身具だ。上部の留め具やひもで衣服に固定し、飾りと房を下に垂らして着用した。房は糸を束ねて長く垂らした飾りを指す。
針入れノリゲは、中央の飾りに縫い針を収める容器を組み込んだものだ。
よく使う針をすぐ取り出せるようにする実用性が、装飾と結びついた。韓国の国家遺産振興院によると、針入れは布や金属、革、紙などで作られ、さび止めに髪の毛や粉を中に入れた。装身具の中に、実際の裁縫道具を保管していたことになる。
国立中央博物館の「白銅針入れノリゲ」(증6526)は朝鮮時代の品で、全長32.5cm。別の所蔵品「パラン針入れノリゲ」(증6666)は全長34.5cmで、桃色の結び飾りと房がつく。「パラン」は青色ではなく、金属の表面を彩る七宝の技法を指す。
併せて掲載したソウル歴史博物館の近代の布製針入れと、檀国大学校石宙善記念民俗博物館の塗りの針入れは、素材と形が異なる。ソウル歴史博物館は、布製針入れの上部をふた、下部を針を刺す部分と説明している。
写真には開いた内部や針は写っておらず、この二点を韓服に着けた姿でもない。垂れ下がる房は糸の飾りで、針の収納部ではない。
2026-10-09T15:59:00+09:00
国立中央博物館 ↗公共ヌリ(KOGL) ↗韓国民族文化大百科事典 ↗www.kh.or.kr ↗国立中央博物館 ↗museum.go.kr ↗museum.seoul.go.kr ↗encykorea.aks.ac.kr ↗現代韓服にノリゲを付ける様子を表現した創作イメージ。
AIで制作したコンセプト画像です。実物の遺物写真や特定の所蔵品の復元画像ではありません。
こんがり焼けた生地に、溶けた砂糖。冬の街の定番おやつホットクは、韓国で長い年月をかけて生地や具を変えながら姿を変えてきた。
鉄板の上で丸い生地を押すと、縁が薄く広がる。表面に焼き色がつき、中では砂糖が溶ける。ホットクは小麦粉の生地で甘い具を包んで焼く、韓国の屋台菓子だ。
1920年代には、ホットクはすでに韓国の庶民に親しまれる食べ物だった。『韓国民族文化大百科事典』によると、当時の新聞にはホットクやホットク店を題材にした随筆や短編小説が掲載された。店で買う食事やおやつが、日々の暮らしとともに文章にも登場していた。
ただし、この記録は現在の砂糖入りホットクが生まれた時期を示すものではない。
その後もホットクは韓国の街で変わり続けた。油を引いた鉄板で焼く方法、甘い具にシナモンを加える方法、生地にもち米を混ぜたり野菜を包んだりする方法が生まれた。同じ名前でも、生地や具によって食感は異なる。
釜山のシアホットク(種入りホットク)はその一例だ。砂糖の甘さに、種やナッツの香ばしさと歯ごたえが加わる。韓国観光公社は、かぼちゃの種やピーナッツ、アーモンド、クルミなどを入れる釜山の名物屋台菓子として紹介している。

なじみの味の中に変化が積み重なっていることが、ホットクの面白さだ。生地の厚さや具が変わり、街や店ごとに工夫が加わってきた。冬の道で出会う一枚には、作る人と食べる人の日常が重なっている。

2026-10-09T06:17:52.099Z
韓国民族文化大百科事典 ↗Wikimedia Commons · Korea.net/KOCIS ↗Creative Commons ↗KOCIS Korea ↗韓国観光公社 ↗こんがり焼けたホットク。厚みのある縁と、鉄板に触れてついた焼き色が見えます。2010年の資料写真です。
油を引いた鉄板で、ホットクに焼き色がついていきます。トングのそばには、生地を平たく押す丸い道具が置かれています。2013年の資料写真です。
切り開いたシアホットクから、中の具がのぞいています。紙コップに入れ、手に持って食べる姿です。2012年の資料写真です。
メットルは、大豆をひいて豆腐を作り、穀物を粉にした韓国の石臼だ。石で食べ物を加工してきた長い歴史と、家庭や寺で食事を準備した手仕事をたどる。
穀物や木の実を石でひく作業は、丸い石臼より古くからある。国立中央博物館は、ソウルの岩寺洞や釜山の加徳島など新石器時代の遺跡から出土したすり石と石皿を紹介している。平たい石の上で長い石を前後に動かして材料をすりつぶす道具で、主に採集した木の実の加工に使われたと考えられている。
回転式のメットルとは別の道具だが、硬い食べ物を細かくする作業が昔から暮らしの一部だったことを示している。
メットルは、上下の石の間で穀物をひいて粉にする道具だ。上の石の穴に材料を入れ、持ち手を回すと、ひいたものが外へ出てくる。
小型のプルメは、布に使う糊の原料となる米や、松の実粥・ごま粥の材料をひくのにも使われた。江原道の山間部には木製のメットルが、済州には四人で回す大型のものがあった。同じ名前でも、大きさや素材、用途は異なっていた。
伝統的な豆腐づくりでは、水に浸した大豆を石臼でひき、加熱してこして豆乳を取った。これに凝固剤を加えて固め、水を切ると豆腐になる。
作業では片手で持ち手を握り、もう一方の手に持ったさじで豆を入れた。ひいた豆は下の鉢に集まった。

メットルは寺の炊事場でも使われた。楊州の檜巌寺跡に残る二基の石臼は、大きな受け鉢と下の石を一つの花崗岩から彫り出している。近くで大型の水槽も発掘され、炊事に関わる場所だったと考えられている。
韓国国家遺産庁は、寺が栄えた朝鮮時代初期の制作と推定している。大きな受け鉢は、同じ仕組みが多くの人の食事を支える規模で使われたことを示している。

2026-10-09T06:17:52.099Z
韓国民族文化大百科事典 ↗韓国学中央研究院 ↗公共ヌリ(KOGL) ↗韓国民族文化大百科事典 ↗digital.khs.go.kr ↗国立中央博物館 ↗石の周囲を締める枠と、わらを編んだ敷物を備えた石臼です。撮影年不明。
スプーンで豆を入れながら石臼を回す様子です。ひいた豆は下の木製の容器にたまります。撮影年不明。
楊州の檜巌寺跡に残る石臼の資料写真です。前に紹介した生活用具とは別の遺跡の例で、撮影年は不明です。

洗い終えた布は石の台に載せ、木の棒でたたいた。タドゥミと呼ばれるこの作業は、布目を整えてつやを出す仕上げの手入れだった。
タドゥミは、洗った布を木の棒でたたいて仕上げる作業だ。のりを付けた布の織り目を整え、表面をなめらかにして再び着られるようにした。細長い石の台タドゥミドルが布を支え、硬い木の棒が布に力を伝えた。
朝鮮王朝時代の生活書『閨閤叢書』には、絹や木綿、カラムシなど素材ごとの仕上げ方が記されている。衣服の手入れは洗濯で終わらなかった。布の種類や状態を見極める知識が必要で、時間も労力もかかる仕事だった。
韓国国立中央博物館が所蔵するタドゥミドル「신수13090」は朝鮮王朝時代のもので、長さ55cmの低い石の台だ。整った韓服の姿を支えていたのは、洗濯のあとも続く手入れだった。
パンジッコリは、裁縫に使う小さな道具をまとめておく入れ物だ。針やボタンを分ける仕切り、紙を重ねた本体、漆に添えた螺鈿には、衣服を作り道具を整えていた暮らしが表れている。
衣服を仕立てるには、針と糸のほか、寸法を測る物差し、布を切るはさみ、指を守る指ぬき、布を整えるこてやアイロンが必要だった。パンジッコリは、こうした小さな道具や布をまとめる入れ物である。
『韓国民族文化大百科事典』は、伝統的な衣服づくりであるチムソン(針線)の項で、針入れや糸巻きとともに裁縫箱を整理の道具として紹介している。
韓国国立中央博物館の朝鮮時代の裁縫箱「新収13353」には、内側の隅に小さな仕切りがある。博物館によると、針やボタンを分けて入れるための場所で、裁縫の材料を置く広い底面とは区別されている。
木製で高さ9.2cm、縦横36.5cm。黒漆に螺鈿を施している。浅く開いた形と内側の区画が、整理のための工夫を示している。
パンジッコリは華やかな漆器ばかりではない。紙、木、竹など、さまざまな素材で作られた。
紙工芸には紙を何枚も貼り重ねて厚みを出す方法があり、裁縫箱のような小さな生活用具にも使われた。余った紙や古紙も材料となり、色紙で表面を飾ることもあった。
最初の写真の「新収13352」も朝鮮時代の木製裁縫箱だが、仕切りのある「新収13353」とは別の品だ。高さ9.7cm、縦横38.5cmで、黒と赤の漆に螺鈿を添えている。
内側の丸い枠には岩、木、魚を、外側には花や鳥、竹、岩を配した。二つの箱は、裁縫という日常の仕事が収納や工芸の好みにもつながっていたことを伝える。
![[상암동비디오] 버스를 그대 품안에](https://i.ytimg.com/vi/pmv6Z-YBPEY/maxresdefault.jpg)
交通カード以前、ソウルのバス利用者は金属のトークンや紙の回数券を前もって買い、乗るたびに一つずつ渡していた。この小さな乗車券には、運賃を集めた人の働く環境、学生割引、交通機関が結び付いていった過程が残っている。
トークンは硬貨の形をしたバス乗車券だ。利用者は売り場で先に買って持ち歩き、運賃として渡した。普通のお金と違い、特定の交通機関の運賃にしか使えなかった。
紙の回数券も使われ、まとめて買って一回の乗車につき一枚を出した。通勤・通学の前には、お金だけでなく切符を持ったかも確かめる必要があった。

ソウルでバストークンが導入されたのは1977年。当時は車内で乗り降りを手伝い、運賃を集める車掌が働いていた。トークンは揺れる車内で釣り銭を計算する手間を減らす方法だった。
ソウルの博物館や市の資料は、運賃を抜き取ったと疑われた女性車掌が不当な身体検査を受けていた問題も導入の背景に挙げている。導入によってそうした行為がすぐになくなったわけではない。
ソウル生活史博物館によると、初期の一般用トークンは黄色がかった真ちゅう製で、学生用は銀白色の洋白という合金で作られていた。運賃区分の違いを切符の種類で示していた。
ソウルでは1979年5月、学生用トークンが紙の回数券に替わった。当初は小学生、中高生、大学生用があったが、1990年から大学生用がなくなり、大学生も一般運賃を払うようになった。

ソウルの導入年や廃止年はソウルの歴史で、韓国全体の日程ではない。他の都市にもトークンや回数券があった。釜山市は2026年7月、バスの歴史展示の案内で地域のトークンや回数券を展示品として紹介した。
同じ種類の乗車券が各地にあっても、別の都市で使えたわけではない。

ソウルでは1996年に交通カードが登場し、トークンは1999年に廃止された。トークンから現在のTmoneyへ一夜で替わったわけではない。Tmoneyの沿革にある2004年7月はソウルの新交通カードシステムの開始時期で、2007年7月には首都圏の統合運賃精算サービスが続いた。
変わったのは切符の素材だけではない。利用記録をもとに複数の交通機関の運賃を結び付けて計算する仕組みが発展した。
トークンは一回の乗車で渡す物だったが、チャージ式の交通カードは残高を持ち、補充して繰り返し使える。統合運賃では乗車記録も運賃計算に使われる。
博物館に残るトークンや回数券は、前もって買い、持ち歩き、乗るときに取り出すというかつての動作を伝える。カードや携帯電話で運賃を払う今の方法は、こうした物と制度の変化を経て生まれた。
2026-10-09T02:11:52.173Z
Tmoney ↗Tmoney · history ↗YTN Science ↗YTN Science · YouTube ↗ソウル生活史博物館 ↗ソウル特別市 ↗museum.seoul.go.kr ↗ソウルの学生用バストークン3点です。表面や色合いの違いが見られます。
学生用バストークン1点の文字と模様です。集合写真とは別に撮影された詳細写真です。
一般客用のバストークン1点です。学生用とは異なる運賃区分で使われました。
